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鈴木重義 (雑賀鈴木家) : ウィキペディア日本語版 | 鈴木重義 (雑賀鈴木家)[すずき しげよし] 鈴木 重義(すずき しげよし、寛永11年4月4日(1634年5月1日) - 寛文8年9月6日(1668年10月11日))は、江戸時代初期の水戸藩士。水戸藩初代藩主徳川頼房の十一男で、徳川光圀の異母弟にあたる。紀州雑賀衆の裔、雑賀党鈴木氏を相続した。 == 略歴 == 寛永11年(1634年)生まれる。母は興正寺門主准尊の長女・耶々(石山本願寺顕如の曾孫)。幼名は仙千代、武蔵。養子になった後は通称を孫三郎、孫一。 雑賀衆の裔である鈴木重朝は徳川頼房に仕え、子の重次が跡を継いだが、重次には男子がなく、重義が婿養子となった。寛文4年(1664年)養父の重次が死去したため、家督を相続。禄高は3千石、大番頭に准じられた。寛文7年(1667年)大番頭となり、与力を付けられる。寛文8年(1667年)3月、光圀の江戸参府に従って上京し、将軍家綱に拝謁する。9月、35歳で死去した。墓は浄光寺。 雑賀鈴木家は重義の代までは禄高3千石の家老格であったが、重義の跡を継いだ養子・重春(鈴木重朝の次男重信の子である重井の子)が幼少であったことや、家人の不行跡により、禄高は600石となった。以後も重臣層として、明治維新に至る。
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